2月7日は「北方領土の日」
2月7日は「北方領土の日」です。幕末の1855年のこの日(安政元年12月21日)に、日本とロシアの間で「日魯通好条約」(下田条約)が調印されました。この条約によって、択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島の北方領土は日本の領土として両国間で合意し、これ以降両国の国境は何度も変わりましたが、一貫して「日本の固有の領土」でした。しかし、終戦の際にソ連が不法に侵攻し、今日まできてしまいました(国際法違反)。早期返還を実現するために、昭和56(1981)年に条約締結の日を「北方領土の日」とし、返還運動のシンボルの日としました。
毎年2月は「北方領土返還運動全国強調月間」であり、2月7日には「北方領土返還要求全国大会」が、東京で開催されるほか、この日を中心として全国各地で講演会やパネル展、返還実現のための署名活動などさまざまな取組が行われています。
・「北方領土の日」「北方領土返還運動全国強調月間」関連事業一覧
●北方領土とは?
「北方領土」とは、北海道の北東・根室半島沖にある歯舞(はぼまい)群島、色丹(しこたん)島、国後(くなしり)島、択捉(えとろふ)島の四つの島々のことです。歯舞群島には、貝殻島(かいがらじま)、水晶島(すいしょうとう)、秋勇留島(あきゆりとう)、勇留島(ゆりとう)、志発島(しぼつとう)、多楽島(たらくとう)等の島々から成り立っています。北海道根室市の納沙布岬から一番近い歯舞群島の貝殻島までは3.7km、国後島までは16 kmで、肉眼で見ることができます。そして、色丹島が73.4 km、択捉島までが144.5 kmです。
北方領土の総面積は5千36平方kmで、福岡県とほぼ同じ広さがあります。動植物の種類は北海道と同じです。択捉島とその北のウルップ島と間に大きな違いがあることが、宮部金吾 北海道大学名誉教授の研究で明らかになっています(宮部ライン1930)。千島海流・日本海流と接しているため、世界三大漁場の一つと呼ばれ、戦前1万7千人の日本人が漁業を中心に暮らしていました。
●北方領土が「日本固有の領土」という理由
日本は、露国に先んじて北方領土を発見・調査し、遅くとも19世紀初めには四島の実効的支配を確立しました。19世紀前半には、露側も自国領土の南限をウルップ島と認識していました。ペリーの黒船来航から2年後、1855年2月7日(旧暦では安政元年12月21日)は、「日魯通好条約」が現在の静岡県下田市において調印されました(下田条約)。この条約は、日本とロシアの間に通商を開くとともに、平和的な話し合いによって両国の国境を択捉島とその北にあるウルップ島の間と定めたものです。これによって、北方四島は日本の領土として確定し、これ以降両国の国境は何度も変わりましたが、北方四島は一貫して日本の固有の領土でした。
明治8(1875)年日本とロシアは「樺太千島交換条約」を結び、樺太を放棄するかわりに、ウルップ島以北の18の島からなる千島列島を譲り受けました。日露戦争後の明治38(1905)年の「ポーツマス条約」で、南樺太が日本領となりました。
●ソ連は終戦後の8月28日から9月5日に北方領土に侵攻
第2次世界大戦の終戦間近、昭和20(1945)年8月6日に広島へ、8月9日の長崎に原爆が米軍によって投下されました。ソ連は当時まだ有効期限内(1946年4月25日失効)だった日ソ中立条約を無視して、8月8日に宣戦布告し、9日に対日参戦し、まず満州に、11日に南樺太に侵攻しました。日本がポツダム宣言を受諾した8月15日以降もソ連の侵攻は激しさを増します。8月18日に千島列島北部の占守島(しゅむしゅとう)に侵攻し、日本軍と激戦となります。8月20日には、映画「氷雪の門」で描かれた南樺太真岡の電話交換手9名の女性の集団自決事件も起きています。8月28、29日に択捉島を占領し、9月1日に国後島と色丹島に上陸し、9月2日に日本が降伏文書に調印を行ったにもかかわらず、翌日の3日以降もソ連は北方領土等への侵攻を継続しました。4日に国後島と色丹島が、5日に歯舞諸島が占領されました。この間、日本軍は抵抗せず、無血で占領が進行しました。このようにソ連は終戦後も軍事侵攻を続け、北方領土を不法に占拠したのです。満州、南樺太、千島列島へのソ連の違法な侵攻によって、8万人以上の日本人が殺され、また捕虜となった者60万人がシベリアへ抑留され、その内6万人以上が死亡したと言われています。
戦後もソ連は、昭和21(1946)年2月2日に北方領土を南サハリン州という自国領に一方的に編入し、昭和23(1948)年までには全ての日本人を北方領土から強制退去させました。昭和26(1951)年に結ばれた「サン・フランシスコ条約」では日本は千島列島と南樺太を放棄しました。しかし、この時日本が放棄した千島列島には、歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島の四島は含まれていません。また、ソ連はこの平和条約を締結していません。このように国際的な取り決めをみても、北方領土は明確に日本国有の領土といえます。
●北方領土をめぐる動き
昭和31(1956)年平和条約が締結できない中で、「日ソ共同宣言」が結ばれ、国交が回復しました。しかし、長い間ソ連は領土問題を認めませんでした。ようやくゴルバチョフ時代となって、文書で領土画定問題を認めました。ソ連崩壊後、ロシア大統領となったエリツィンは、シベリア抑留を謝罪し、明確な交渉指針に合意しました。しかし、プーチン、ベドベージェフ時代となり、交渉は進展していません。
平成21年7月国会で「北方領土返還運動活性化特別措置法」改正案が可決されました。北方領土を「わが国固有の領土」と明記し、元島民の高齢化が進んでいるので、運動の後継者育成や、日本人と四島在住のロシア人の「ビザなし交流の促進」、返還運動の拠点の根室市などの観光開発促進などを盛り込み、テコ入れを図りました。
●返還要求の根拠
日本政府の返還要求の根拠は以下のようなものです。
(1) 歴史的事実
①北方領土にはかつて外国人が定住した事実がなく、また外国の支配下にあったこともなく、18世紀末からは江戸幕府の直轄地として日本人の手によって開拓された。
②この事実を踏まえて、1855年(安政元年)に締結された日魯通好条約においては、日露国境を択捉島と得撫(うるっぷ)島との間に設定することとした。
③日露国境の再編をした1875年(明治8年)の樺太千島交換条約では、樺太の一部に対する権利を譲り渡し、得撫から占守(しゅむしゅ)に至る18の島(千島列島=クリルアイランズ)の領土権を取得した。
(2) 国際法上の根拠
①連合国は、第二次大戦の処理方針として領土不拡大の原則を度々宣言しており、ポツダム宣言にもこの原則は引き継がれている。この原則に照らすならば、我が国固有の領土である北方領土の放棄を求められる筋合いはなく、またそのような法的効果を持つ国際的取決めも存在しない。
②サン・フランシスコ平和条約で我が国は、千島列島に対する領土権を放棄しているが、我が国固有の領土である北方領土はこの千島列島には含まれていない。このことについては、樺太千島交換条約の用語例があるばかりでなく、米国政府も公式に明らかにしている(1956年9月7日付け対日覚書)。
(注)ソ連が北方領土の領有を主張する最も有力な根拠としていたヤルタ協定は、米英ソ三国間の秘密協定であり、我が国が拘束されるいわれはなく、また同協定が領土移転の法的効果を持つものでないことは、当事国である米国政府も公式に明らかにしている。(上記覚書)。
内閣府北方対策本部 http://www8.cao.go.jp/hoppo/mondai/01.html
●日本の基本的立場
外務省は以下のような基本方針で対応しています。
(1)北方領土は、ロシアによる不法占拠が続いていますが、日本固有の領土であり、この点については例えば米国政府も一貫して日本の立場を支持しています。政府は、北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結するという基本的方針に基づいて、ロシア政府との間で強い意思をもって交渉を行っています。
(2)北方領土問題の解決に当たって、我が国としては、1)北方領土の日本への帰属が確認されるのであれば、実際の返還の時期及び態様については、柔軟に対応する、2)北方領土に現在居住しているロシア人住民については、その人権、利益及び希望は、北方領土返還後も十分尊重していくこととしています。
(3)我が国固有の領土である北方領土に対するロシアによる不法占拠が続いている状況の中で、第三国の民間人が当該地域で経済活動を行うことを含め、北方領土においてあたかもロシア側の「管轄権」に服したかのごとき行為を行うこと、または、あたかも北方領土に対するロシアの「管轄権」を前提としたかのごとき行為を行うこと等は、北方領土問題に対する我が国の立場と相容れず、容認できません。
したがって、日本国政府は、広く日本国民に対して、1989年(平成元年)の閣議了解で、北方領土問題の解決までの間、ロシアの不法占拠の下で北方領土に入域することを行わないよう要請しています。
(4)また、政府は、第三国国民がロシアの査証を取得した上で北方四島へ入域する、または第三国企業が北方領土において経済活動を行っているという情報に接した場合、従来から、しかるべく事実関係を確認の上、申入れを行ってきています。
外務省 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/hoppo.html
●安倍政権で解決の道筋を
今わが国は、露国との北方領土問題だけでなく、韓国との竹島問題を抱えています。また、領土問題ではありませんが、チャイナから仕掛けられる尖閣諸島の領域の問題もあります。
外交は、内政の安定があってこそ、強力な交渉力を発揮します。そのために、私としても政府を内政からしっかり支えていきたいと思います。
●北方領土問題 リンク
内閣官房 領土・主権対策調整室 http://www.cas.go.jp/jp/ryodo/index.html
内閣府北方対策本部 http://www8.cao.go.jp/hoppo/index.html
外務省 北方領土問題 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/
独立行政法人北方領土問題協議会 http://www.hoppou.go.jp/
公益社団法人北方領土復帰既成同盟 http://www.hoppou-d.or.jp/cms/cgi-bin/index.pl
公益社団法人千島歯舞諸島居住者連盟 http://www.chishima.or.jp/siryou.htm
北海道別海町 http://4islands.jp/
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