9月13日 乃木希典大将夫妻 殉死の日
9月13日は乃木希典大将の命日です。明治期の代表的陸軍軍人であり、海軍の東郷平八郎元帥とともに「聖将」と呼ばれました。大正元年(1912)年に明治天皇の大喪の日に、乃木大将は自宅で殉死しました。奥様の静子様も後に続きます。乃木大将63歳、奥様53歳でした。東京赤坂の乃木坂にある、乃木大将を祀る乃木神社境内には、乃木大将の自宅がそのまま保存されています。外から、窓越しに自決した部屋を見ることができます。質素でありながら、和と洋が融合された機能的な部屋です。乃木大将は、明治天皇=国家に、忠を尽くし、殉じたのでした。
●『乃木大将と日本人』
日本のリーダーとして、世界的に高く評価されていました。日露戦争の米国紙の従軍記者で英国人のウォシュバンが『乃木大将と日本人』(講談社学術文庫)を上梓しています。乃木大将との交流を感動的に書いています。国籍を問わずに、これ程尊敬されていたのかと驚かせます。
『乃木大将と日本人』http://bookclub.kodansha.co.jp/product?code=158455
●乃木大将の生い立ち
乃木希典大将は、嘉永(かえい)2年11月11日(1849.12.25)に生まれます。長門(ながと)(山口県)府中藩(長州藩支藩)藩士乃木希次の3男で、幼名は無人(なきと)。江戸(東京)に生まれ、少年期に長府に移転。少年期に過ごした旧宅は、山口県下関市長府の乃木神社に復元されています。吉田松陰先生に心服し、松陰の叔父・玉木文之進の塾に学び、また集童場(長府の松下村塾と呼ばれた)で文武両道を鍛えます。江戸幕府の長州征伐の時、長府藩士で組織された報国隊に加わり、砲兵隊員として戦闘に参加します。戊辰戦争にも加わり、明治1 (1868) 年 10月報国隊読書掛となりました。その後京都に赴き、陸兵練兵教官などを務めたあと、同4年東京に出て新御親兵隊の陸軍少佐に任官。 明治4(1871)年陸軍少佐。西南戦争では歩兵第14連隊長心得を務め、田原坂の激戦で連隊旗を失ってしまい、自決を決意すましたが思いとどまります。これを終生悔い、恥として、大将を苦しめたといわれています。母寿子は妻帯を勧めて、11年8月27日薩摩(鹿児島)藩士湯地定之の4女お七(結婚後,静子)と結婚しましたが、鬱屈の情を酒にまぎらす日々が続いたと言います。
19年川上操六(1歳年長で薩摩出身の後陸軍大将M32没)とドイツに留学し。戦術を研究したことが転機となり、帰国後,軍紀確立などに関する意見書を提出します。一方、自らは常に軍服で身を律しました。
日露戦争では大将、第3軍司令官として出征し、難攻不落といわれた旅順要塞を3回にわたって総攻撃し、37年12月5日203高地を占領しました。翌年1月1日、旅順要塞司令官ステッセル中将の降伏申し入れに同意、翌日水師営で開城規約が成立、5日ステッセルと会見しました。旅順陥落までの戦闘で2子が戦死し、悲劇の将軍として国民的敬愛を集めました。3月奉天(瀋陽)の会戦で第3軍は北方へ退くロシア軍と激戦を展開しました。
その時の様子は「水師営の会見」(作詞・佐佐木信綱,作曲・岡野貞一)となり、文部省唱歌として歌われました。
39年軍事参議官。40年伯爵、明治天皇の信任厚く、40年学習院院長に任じられました。院長時代は、寄宿舎の学生たちと起居をともにして、御通学なされていた昭和天皇の御養育にも当たりました。明治天皇大葬の日の大正元年9月13日,妻の静子とともに殉死しました。63歳。号は静堂,石林子など。
【辞世】うつし世を 神さりましし 大君の みあとしたひて 我はゆくなり
https://kotobank.jp/word/乃木希典-17456
●乃木院長訓示要項 14か条の訓示
明治天皇の命により、晩年学習院第10代院長を務めます。そこで、初等科の小学生向けに、14か条の訓示をしています。同初等学科ではこれを「乃木院長訓示要項」と題して印刷し、第二次大戦中まで学生に配布していたということです。簡にして要を得るものがあります。
乃木院長訓示要項
1 口を結べ。口を開いて居るような人間は心に締りがない。
2 眼の注ぎ方に注意せよ。始終キョロキョロしているのは、心の定まらない証拠である。
3 敬礼の時は先方をよく注視せよ。
4 自分の家の紋所、家柄、先祖の事はよく聞いて忘れぬ様にして置け。先祖の祭は大切であるぞ。
5 男子は男らしくしなくてはいかん。弁当の風呂敷でも、赤いのや美しい模様のあるのを喜ぶ様では駄目だ。
6 決して贅沢するな。贅沢ほど人を馬鹿にするものはない。
7 人力車には成るべく乗るな。家で人力車をよこしても乗らないで帰る様にせよ。
8 寒中水で顔を洗うものは幾人あるか。湯で洗う様ではいかぬ。
9 寒い時は暑いと思い、暑い時は寒いと思え。
10 破れた着物をそのまま着て居るのは恥だが、そこを継ぎをして縫って着るのは決して恥ではない。いや恥どころではない。
11 恥を知れ。道に外れた事をして恥を知らないものは禽獣に劣る。
12 健康の時は無理の出来るように体を鍛錬せよ。けれども一旦病気になったら医者の云う事をよく聞け。
13 洋服や靴は大きく作れ。格好などかまうな。
14 学習院の学生は成るだけ陸海軍人になれとは、陛下の御沙汰であるから、体の丈夫なものは成るべく軍人にならなければならぬ。けれども生まれつき体の弱い者もあり、又種々の事情でなれぬ者もあろう。是も仕方がないが、何になるにも御国のために役に立つ人にならなければならない。国のために役に立たない者、あるいは国の害になる様な人間は死んで仕舞った方がよいのである。
(出所)『学習院百年史 1』(学習院百年史編纂委員会 1981)
現在、学習指導要領には、小学校で教えるべき人物として、東郷平八郎元帥はあるのですが、乃木希典大将は入っていません。ぜひ明記して、学校で教えたいものです。
●乃木大将の御縁個所
全国各地に乃木神社があります。ぜひ訪問してみたいものです。
乃木神社・殉死宅 https://www.nogijinja.or.jp/
乃木家墓所(青山霊園内) https://goo.gl/maps/fd29y2mphu7BkPX57
学習院大学・乃木館 https://www.gakushuin.ac.jp/loadimg/mejiro/25.html
函館乃木神社 https://hakodate-nogijinja.com/
那須乃木神社・乃木別邸 https://www.nasu-nogijinja.jp/
京都乃木神社・旧宅 http://nogi-jinja.jp/web/
長府乃木神社・旧宅 http://www.chofukankou.com/pg41.html
善通寺乃木神社・乃木館 https://www.city.zentsuji.kagawa.jp/soshiki/50/digi-m-culture-detail-049-index.html
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