11月7日はロシア革命とゾルゲ事件の日

『ゾルゲの見た日本』新装版 みすず書房編刊 2017年


 11月7日は、ロシア革命が起き、「20世紀最大のスパイ事件」と言われるゾルゲ事件のゾルゲと尾崎秀実が処刑された日です。


 1917年大正6年11月7日にロシア革命が起き、帝政ロシアが崩壊し、ソビエト連邦が成立しました。共産主義者が初めて政権を奪取し、その後の国際共産主義運動(コミンテルン)が日本はじめ全世界を席巻します。優秀な人材をオルグ(組織化)して、細胞(革命工作員)を各組織に潜り込ませ、労働者や一般人を扇動し、サボタージュや破壊活動を起こしました。その脅威は、今日では考えられない程のものでした。


●リヒャルト・ゾルゲ(1895-1944)の暗躍


 その赤色革命の信奉者が、ドイツ人記者でソ連のスパイであったリヒャルト・ゾルゲ(コードネームはラムゼイ、1895-1944)であり、彼の諜報団の仲間、朝日新聞記者の尾崎秀実(おざきほつみ、1901-1944)らでした。ゾルゲは、ドイツや日本のソ連侵攻の有無という機密情報をソ連に伝え、救国の英雄として現在でも尊崇されています。


 先日たまたまワールドニュースを観ていたら、ロシアのある地域でゾルゲの銅像の除幕式のことが流されていました。また、10月4日にはゾルゲが埋葬されている東京の多摩霊園で、ゾルゲ生誕120年献花式が実施されていました。いまだに尊敬されているのかと驚きました。
 http://jp.rbth.com/news/2015/10/06/479903


●尾崎ら日本人協力者


 尾崎は、米国人記者で米国共産党のアグネス・スメドレーからゾルゲを紹介され、朝日新聞記者としての情報宣伝活動のみならず、総理となった近衛文麿の側近としても活動し、支那事変や北進策ではなく南進策を採用する等の国策に影響を与え、ソ連にその情報を伝え続けました。


 ゾルゲ諜報団(ラムゼイ機関とも言う)20名は、昭和16(1946)年大東亜戦争開戦前に、国家保安法や治安維持法によって、次々に逮捕されました。首謀者であったゾルゲと尾崎は、戦争末期の昭和19(1944)年11月7日のロシア革命記念日に、巣鴨拘置所で死刑となりました。


●イデオロギーと諜報活動の脅威を防ぐために

 現在、冷戦が終結してソ連はじめ共産主義各国が崩壊し、共産主義の脅威について、実感を持って感じられなくなってしまっています。しかしながら、日本の周辺国には、いまだに中共と北朝鮮という形を変えた共産主義、全体主義国家が跳梁しています。中共においては、伝統的な中華思想と共産党一党独裁が結合して、資本主義の経済力をつけて最悪の全体主義国家として、世界の脅威となっています。


 国内においても、天皇制打倒を掲げ、国際共産主義運動の日本支部として誕生した日本共産党がいまだ活動を続けており、暴力革命を表面的に放棄したとはいえ、二段階革命(民主主義革命後に共産主義革命を起こす)を目指し、防衛省はじめ国家中枢に工作員網を張り巡らしています。例えば、先の国会での平和安全法制の審議中に、防衛省の内部情報が共産党に漏れ、国会で質問されて問題になったことは記憶に新しいところ。


 また、外交活動には諜報活動が表裏一体であるとの国際常識の下で、日本は「スパイ天国」と呼ばれて官民の重要な情報が搾取され放題でした。国内においては、公安警察や公安調査庁等があるとはいえ、課題があると言えます。安倍政権になって、内閣官房に国家安全保障局が設置され、スパイ防止法の役割を担う特定秘密保護法が制定され、施行され始めました。しかしながら、対外諜報活動は、情報収集衛星だけでは限界があり、ヒューミント(HUMINT、Human intelligence=人間やメディアを媒介とした諜報活動)は、外務省や防衛省が担っているとはとても言えるような状況ではありません。日本も、一日も早く対外諜報機関を設立すべきだと考えます。北朝鮮に拉致された日本人の救出することを考えた時に、自衛隊の特殊部隊に実力で奪還する力があっても、拉致された日本人の所在情報がなければ、救出することはできないからです。

 現代は、共産主義だけでなく、ISIL等のイスラム原理主義の台頭もあります。改めて、ロシア革命とゾルゲ事件の起きた今日だからこそ、イデオロギーと諜報活動の脅威を教訓にして、私たちの国の行く末を考える日にしたいと思います。

参議院議員 赤池まさあき 日めくり

「活力ある日本へ!国づくり、地域づくりは、人づくりから」を信条とする参議院議員赤池まさあき(全国比例区)です。歴史や政治に学ぶため、記念日等をまとめてみました。